――真実
昼休みの教室。
午後の授業を前に、宍戸は机に突っ伏していた。
寝るのに丁度いいこの時間帯に、
耳に入るのは喧騒だけ。
季節と共に日差しも弱くなり、
うとうとと瞼を閉じようとした宍戸だったが
不意に聞こえた声に目を見開くことになる。
「宍戸ー! 彼女来てっぞー」
バン! という大きな音と共に立ち上がった宍戸。
勢いよく机に手をついたせいで両手が痺れて痛い。
不機嫌な顔の彼を驚いて見つめる者、
あるいは冷やかす同級生の間をすり抜けて、
廊下へと出る。
廊下では何人かの男子生徒が輪になっていて、
見れば宍戸と同じクラスの者だった。
そして皆一様に宍戸に対して、
意地の悪そうな笑みを浮かべる。
それらを宍戸はギロリと睨みつけ、
彼らが取り巻く中心に目を向けた。
囲まれた中にいた少女は、困ったように目を泳がせていた。
「やっぱお前か…」
「ご、ごめん。たまたま通りがかっただけなんだけど」
申し訳なさそうに俯くに、
だろうな、とため息をつく。
おおよそを見つけたクラスの者が、
からかい半分で声をかけたのだろう。
なおもニヤニヤと立ちつくすクラスメートを追い払い、
めんどくさそうにを見やる。
「あいつら相手にするとキリねーし。
お前もこの辺ウロウロしない方がいいぞ」
「…うん。ごめんね」
「…じゃあな」
女生徒と話をしている、という
周囲からの視線が気になって、
今すぐにでも退散してしまいたかった。
しかしはそんな宍戸の都合など
知るわけがない。
「あ、待って!」
「……何だよ?」
これで最後にしてくれ、と思いながら足を止める。
けれどその声が思いのほか大きく、宍戸は眉をひそめた。
「誕生日、おめでとう」
「!」
振り向いた宍戸が怒っているように見えて、はそっと告げた。
思いがけない言葉に不意をつかれ、一瞬言葉が詰まる。
ああそういえば今日は誕生日だったかも、などと思いながら、
わざわざ言いに来るほどのことでもないのにと
多少苛立ちが募る。
どうも…と先ほどのよりも小さな声で返事を返せば、
はわずかに頬を緩ませた。
そして今朝は学校に行く前に宍戸の母親に会ったと言い、
話を続ける。
(どうでもいいけど、何で今すんだよ…)
自分としては早くこの場をやり過ごしたいのに、
の話は展開していく。
とりあえず相槌は打っているものの、話半分の宍戸は
背にした教室からの好奇の視線が気になって落ち着かない。
それが顔に出ていたのか、が首を傾げた。
「で、聞いてた?」
「あ? 何だって?」
「今日部活お休みでしょ?
だから誕生日パーティーしようって、
おばさんと話してたの」
「……はぁ?」
ためらいもなく話すに、宍戸は間抜けな声を上げた。
「何だよそれ。勝手に決めんなよ」
「でも、小さい頃はよく…」
「…あのなぁ」
”小さい頃” の好きな言葉だ。
たしかに自分たちは幼馴染みで、
一番の友達だった。
それこそ家族ぐるみの付き合いがあったりもしたけれど。
「昔はンなこともやってたかもしんねーけど、
もうガキじゃねーだろ…俺もお前も」
「!!」
ハッとしたようにが口を噤む。
の言う通り幼い頃は、
お互いの誕生日を祝ったものだった。
むしろ誕生日だけでなく、
クリスマスや正月も一緒だったような気がする。
けれど年を重ねるにつれて、それぞれの付き合いが出てくるようになって。
テニスを始めた宍戸は部活を通しての友人ができ、
も女の子のグループといるようになっていた。
「別に俺じゃなくても、仲いい女とかいんだろ?」
「それは…そう、だけど…」
「だったら、そういうヤツにしてやれよ」
「………」
予鈴が鳴り、生徒の何人かが駆け込んでくる。
「ほら、授業始まっぞ」
「……うん」
こくん、と小さく頷くを促す。
その口調や後姿にはいつもの勢いがなかったけれど、
これでいいのだと納得する。
――幼稚舎に入った頃は、朝から夜まで一緒だった。
学年が上になるにつれて、
互いの家に行き来する回数が減った。
登下校を共にするのを止めた。
人前で、『亮ちゃん』と呼ぶのを止めさせた。
学校で気安く話しかけるなと言った。
昔話をあれこれ持ち出すなと言った。
他のヤツに、俺のことをべらべら喋るなと言った。
も文句は言わず、その通りにしていたから
自然と宍戸ものことは話さなくなり、
名前を口にすることもなくなった。
本鈴が鳴り、あわてて教室へ戻ろうとした宍戸は
足を踏み出したところで足先に違和感を覚えた。
「何だ?」
靴の先に何かが当たった。
足元に落ちた、青色のそれは生徒手帳。
(…まさか)
その可能性はないと信じながらも中をめくってみる。
身分証明書に記された名前と写真は宍戸の予想通りで。
思わずの向かった方を見るが、その姿は既にない。
今しがた会ったを思い出し、
はぁ、と頭を抱えながら席へ着く。
(絶対、何かしでかすんだよな。あいつは)
だからいつも宍戸の気苦労が耐えない。
親や兄弟ではあるまいし、
放っておけばいいのについ手を出してしまうのは
性格なのだろうか。
放課後。
来る予定などなかったのクラスへ宍戸は向かっていた。
携帯へメールを送ったはずなのに、からの返信がない。
帰宅する生徒や、部活移動で人が減るこの頃合ならまだマシだし、
少しくらいは覗いていってもいいか。
に会うのは勘弁したいが、
クラスのヤツが出てきてくれたらラッキーだ。
第一、いつまでも厄介ものを預かっているのは俺だって嫌だ。
そんなことを考えながら教室へ近づいていく。
女のほうがいいな、
真面目な女子生徒が出てきてくれないだろうか…。
(…げ)
が、皮肉なことに教室の前へは誰もいなかった。
代わりに中から話し声がする。
しかも聞こえてくるのは男の声で、
調子外れな口調がカンに障る。
クラスを通り過ぎるついでに顔を拝んでやろうと
中を見て、宍戸は思わず身を潜めた。
がまだ教室に残っている。
しかも、クラスの男子だろうか、
宍戸の知らない男と何やら話し込んでいる。
(誰だよ、アイツ…)
馴れ馴れしくに話しかける男がやけに気にくわない。
男子生徒が一方的に喋っているだけで、
は頷いたり、時折考え込むようなしぐさを見せる程度だったけれど
宍戸には楽しげに話しているように見えた。
早々に帰るつもりだったのに、
二人のことが気になって仕方がない。
(………!)
男の話を聞いていたが
楽しそうに笑った。
それを見て、ふと思い出した。
しばらくの間、のそんな顔を見ていなかった気がする。
元々表情は豊かだったはずなのに、
最近宍戸の目に映るは目を伏せてばかりだ。
なぜ?
いつから?
以前はもっと。
小さい頃はもっと。
自分にも、あんな顔で笑ってくれた時期があったはずだ――
(…!)
と話していた男が、ちらりとこちらを見た。
その視線に気づいたも、同様に顔を向ける。
しまった、と思ったのもつかの間、
バッチリとと目が合ってしまう。
「亮ちゃ…!?」
宍戸がいることに、は驚いて
思わずその名を口に出す。
最後まで言いかけて、あわてて両手で口をふさいだ。
とっさのこととは言え、口にしてしまった事実に
どうしようとうろたえる。
その表情は今にも泣き出しそうで。
「!!」
教室の外から、部屋中に響き渡るような声で宍戸が叫んだ。
の隣にいた男子生徒、そして教室にいた全員が
声の主に注目する。
はその瞳を大きく大きく見開いて、
信じられないという顔つきで宍戸を見ていて。
ふらふらとおぼつかない足取りで
宍戸の元へと近づいた。
「な、に……? どうして……」
「これ」
戸口へと手を寄せて、ふらついた身体を預けるに
宍戸は生徒手帳を差し出す。
「え…?あ、ありがとう」
落としたことすら気づいていなかったのか、
はぽかんとしながらそれを受け取る。
「それと、」
「え?」
「さっきの…話」
さっきの…? と首をかしげて記憶をたどる。
あれほどキツイことを言って断ってしまった手前、宍戸もばつが悪い。
母親との話の一部を話して、ようやくの理解を得た。
「あ! あれはその…ごめんね、変なこと言って…!」
「違うっつーの!」
「え??」
「だから…その……」
まじまじと見つめられて、みるみるうちに頬が紅潮していく。
どうしていつも彼女は、こう肝心なところで鈍いのか。
「やっぱり、行きたくなった?」
「はっ…?」
「パーティー、行きたくなった?」
キョトン、としたから出た言葉は、
おそらく彼女なりに精一杯考え出した答えなのだろう。
多少的を外しながらも、彼女のこういった気の回し方に
不器用な宍戸は何度も救われてきた。
「まぁ…そんなトコだ…」
口先で呟いた言葉は、にはしっかりと聞こえていたらしい。
「ありがとう!亮ち…」
ニッコリと微笑み、再度あわわと口を押さえる。
むー、むー、と言葉を飲み込むは正直、滑稽だ。
子供のようなしぐさに宍戸は
呆れたような、どこか懐かしむような苦笑を浮かべた。
「それ、解禁」
「え?」
「『亮ちゃん』。
お前のことだから一生直んねーだろ、」
「……っ!!」
小さく息を呑んだの瞳から、
ぽろぽろと涙がこぼれた。
「えっ…?な、なんだよ、おい」
喜ぶと思ったのに、いきなり目の前で泣かれて宍戸は焦る。
しかもこの場合、明らかに泣かせているのは自分で。
「今まで、ずっとダメだって言ってた…」
「い、嫌なら嫌って言えよ!」
「だってっ……嫌われると、思って……」
う〜〜、と涙を流し続ける。
話しかけようにも返ってくるのは嗚咽ばかりで、
まるで会話にならない。
そういえば幼い頃から泣いてばかりだったなと
目の前の少女を見て思う。
そうだ、たしかこんな時は――
「…っ、」
「ふ……?」
「す、すぐに泣くヤツは大嫌い、だ…」
を泣き止ませる時に使っていた、
宍戸の決まり文句。
たしかこんな感じのセリフだったはずだ。
今も効くかは、わからないが―
「……っく」
涙目のが、一回、大きくしゃくりあげた。
両目をごしごしこすって、
パチパチ瞬きを繰り返して。
「わかった、泣かない」
宍戸が昔見た、あの笑顔を見せた。
口にはしないが寂しがりやで
強がるわりには泣き虫で
子供の頃から甘えん坊
けれど誰より優しい お前を受け止めるには
俺はどうしようもなく不器用で
言葉にするなんて 絶対に無理だから
せめてこの両腕で
お前を力いっぱい守ってやろう
もう二度と 泣かせたりはしないと
誓うから
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
宍戸さんお誕生日おめでとうです〜。
今回はちょっと違ったテイスト(何)で書いてみました。
幼馴染みといっても、年頃になったらこうなるんじゃないかな?という私の想像です。
好きな人の話とか、誰と誰が付き合ってるとか…。そういうのに敏感なんじゃないかなと。
これは長髪宍戸さんのイメージかな?
後半、気持ち悪い展開だと思ったのは私だけでしょうか;
Up Date 2007.9.29
「ねぇ亮ちゃん」
「あ?」
「さっきの…続きは?」
「………覚えてねぇよ」